ナイカイ塩業 株式会社

海のもつ可能性を求め続けて

所在地
〒711-0913 倉敷市児島味野1-11-19
電話番号
086-472-2002
代表者
野﨑泰彦(代表取締役社長)
創業
文政12年(1829年)
事業内容
製塩業・化成品製造業・不動産事業
従業員数
130
ホームページ
http://www.naikai.co.jp

地元塩田王の歴史のはじまり

 古来より岩塩資源のないわが国では、塩は海水を原料として作られてきました。中でも倉敷市児島は「晴れの国 岡山」といわれるほど温暖な気候で晴天日数が多く、しかも瀬戸内海は干満の差が大きいため塩作りには大変適した土地でした。

 「ナイカイ塩業株式会社」の歴史を振り返ってみると、文政12年(1829年)に創業者である野﨑武左衛門(ぶざえもん)氏が入浜式塩田を築造したのが始まりです。子供のころ貧しかった同氏は足袋の行商で各地を周りながら赤穂など各地の塩作りを研究し、行商で蓄えた資金をもって地元で塩田を築いたと伝えられています。その後、同氏は児島半島南岸に広大な塩田開発を進め、全国の製塩業者の中心的な役割を果たします。

時代とともに進化した塩田

 塩田を築いた当初は入浜塩田を採用していました。入浜式塩田は、干満の差を利用して引き入れた海水を毛細管現象で砂の表面にしみ出させ、濃い塩水を採る方法で、江戸時代初期から昭和20年代まで続けられました。

 その後、従来の自然に頼っていた製塩法から近代的な流下式塩田に転換していきます。流下式塩田は、ポンプで汲み上げた海水をゆるやかな傾斜のついた流下盤へ流し、太陽の熱で水分を蒸発させ、その濃縮された海水を竹の小枝を組み合わせた枝条架(しじょうか)の上へ送り、滴下させ太陽熱と風力でさらに水分を蒸発させ、それを繰り返し行うことで濃い塩水を作るしくみです。これにより生産量は3倍に増え労働力は10分の1になり、大幅な生産性の向上につながりました。

愛され続ける”野崎の塩”

 その後、科学の進歩により膜濃縮製塩法が開発され、従来の塩田法式に比べると天候に左右されることも、また広い塩田を使う必要もなく、少人数で天然の海水から塩を作ることが可能になりました。昭和44年頃から「ナイカイ塩業株式会社」でも工業化に先駆けてイオン膜電気透析装置の導入に着手し、その後も酸化マグネシウム工場を立ち上げるなど、時代とともに新しい合理的なシステムを取り入れてきました。海水の成分を効率よく抽出し、塩だけでなく多品種かつ高品質な化成品も多く生み出しています。
 
 塩製品は、”野崎の塩”として地元をはじめ多くの人に愛されている食塩のほかに、医薬用食塩なども生産しています。また平成18年(2006年)より「旧野﨑家住宅」に併設されている「塩作り体験館」で塩作りの体験も出来るようになりました。