冨士商事 有限会社

被服縫製業

所在地
〒711-0903 倉敷市児島田の口3-3-28
電話番号
086-477-7117
代表者
尾﨑順一(代表取締役)
創業
文久3年(1863年)
事業内容
イメージ、素材選び、デザインからパターン作成、裁断、縫製に至るまで、すべて自社工場(国内)での一貫生産にこだわり、スポーツウェア・介護服等の製造販売をおこなっています。
従業員数
24
ホームページ
http://www2.kct.ne.jp/~fuji7/

文久3年(1863年)、初代尾﨑喜平氏が足袋製造販売業を創業

 児島は古くから本州と四国を結ぶ海上交通の要衝で、田の口と下村は瑜伽大権現と四国金刀比羅宮を結ぶ港として繁栄しました。周辺の新田で栽培された綿花を使った機織りが盛んになり、やがて機織りによって作られた製品が地場産業となり、真田紐や足袋等といった特産品を生み出すなど、繊維の町児島へと発展していきます。
 児島で創業の「冨士商事有限会社」の歴史を振り返ってみると、その歴史は古く江戸時代にさかのぼります。もともと創業者である初代尾﨑喜平氏は、安政3年(1856年)の頃より白木綿を撚り綿糸に加工していたと伝えられています。創業のきっかけは、喜平氏の息子の尾﨑相蔵(後の2代目)氏が結婚した際、嫁(リキ)の実家であった児島赤崎の山本惣太郎氏「ワタヤ」より足袋(小倉足袋)の製造技術を導入したのがきっかけであり、文久3年(1863年)、初代尾﨑喜平氏が、屋号「今岡屋」として「布袋印」の足袋製造販売業を創業。当時は、木槌と型枠を使い、型押しして生地を裁断、それを手縫いで一つ一つ丁寧に縫い上げ足袋を作っていたそうです。

足袋の製造販売に併せて被服製造販売を開始

 2代目尾﨑相蔵氏は、父の後を引き継ぎ、妻(リキ)とともに足袋作りに精進していきます。その後、大正14年(1925年)、尾﨑歳平氏が、「2代目尾﨑相蔵」を襲名し3代目となり、「尾﨑相蔵本店」として、これまでの足袋の製造販売に併せて被服製造販売を始めます。時代も明治維新後、日本に洋装の文化が徐々に入りつつありましたが、まだ庶民の間では足袋の需要は高く、軍事用にも足袋の需要があったそうです。しかし、3代目尾﨑相蔵氏も、足袋の製造を主としていましたが、先見の目があった相蔵氏は、時代の流れをよみ「これからは洋服の時代である」と確信して、これまで培ってきた縫製技術を活かして服の縫製も始めたのです。

縫製技術を活かしてスポーツウェア・介護服の製造

 昭和に入ると、昭和15年(1940年)、4代目尾﨑章氏が「冨士商事有限会社」として法人化。昭和35年(1960年)には、5代目尾﨑義男氏が、ニット縫製、体育衣料を専業とします。東京オリンピックなどの影響もあり、ニット製品、トレーニングウェアなどが流行して、同社でも次第に縫製従事者(縫い子)を増やして生産体制を拡大していきます。
 現在は、6代目尾﨑順一氏が事業を受け継ぎ、代々受け継いだ縫製技術とそのノウハウを活かし、スポーツウェア、介護服の製造を主として手掛け、イメージ、素材選び、デザインからパターン作成、裁断、縫製に至るまで、すべて自社工場(国内)での一貫生産にこだわり、厳しい品質管理で、別注、別寸、小ロットといった細かい注文にも対応し、顧客に満足して頂けるよう「敏速、丁寧」をモットーに製品作りに取り組んでいます。