独立・創業
大正12年(1923年)、総社市出身の角田加登一氏(すみだかといち)が結婚を機に創業しました。創業当初は八百屋でしたが、後に木炭や練炭、酒・煙草の販売もし、最盛期は水島地区まで販路がありました。酒・煙草の販売免許取得は戦前であり(現在は酒、煙草の販売はしておりません。)、倉敷市でも一番古い方です。
正義感のかたまりだった創業者
元来、法律の勉強が好きだった加登一氏は、地域発展のために政治家を志し、古家野橘衛・金子藤一郎両倉敷市長の折には、市議会議員として日夜市政発展のために行動します。その間、妻が留守を守り、縁の下の力持ちとして力を発揮し、事業は拡大されていったのでした。
時代の流れとともに
足腰が丈夫で、車を運転して遠くまで配達に行っていたのは、2代目で一人娘の信子さん。信子さんが退かれてからは、3代目の賢一氏に引き継がれました。
郊外に大型店が建ち、倉敷の中心部として栄えた時代とは様相も変わりしました。また、お店横にある一時預かりに便利な駐車場も多くの方が利用しています。
(2022.1更新)