事業多角化と、その変遷
明治21年(1888年)、急速に近代化が進む明治の日本にあって、大原孝四郎により倉敷村で創業されたクラボウ。以後、130年以上の歴史を刻む中で、基幹産業である繊維事業と、製造技術の応用から誕生したエンジニアリングや、エレクトロニクス事業をはじめ、敢えて未踏の領域に挑戦して実を結んだ化成品や、バイオメディカル事業の躍進と、「クラボウ」は新しい歴史を刻み続け、いつしか繊維の枠を超え、多彩な分野へと発展し続けています。
教育・社会事業への情熱
躍進の源は、初代社長大原孝四郎の「やる可(べ)し、大いに可(や)るべし。」の言葉。ニ代目社長大原孫三郎は、事業などを拡大発展させたばかりでなく、父から受け継いだ奉仕の精神を、さまざまな分野で積極的に開花させました。
明治末期から大正時代、二代目社長 大原孫三郎のもとで事業拡張を積極的に行う一方、衛生的で家庭的な雰囲気の分散寄宿舎の設立、働く人の学校教育制度の確立など、先駆的な社会貢献事業を情熱的に次々と実践して行き、築きあげられた数々の社会貢献事業は地元にしっかりと根付き、その足跡は、いまでも名前や形を変えながら、現代の社会貢献の一翼を担い、そのDNAはクラボウに脈々と受け継がれています。
創業の地は人気スポットとして
創業時の工場は、レンガ壁や工場独特のノコギリ屋根、そして、名前の由来でもあるアイビー(蔦)の絡まる中庭広場など、当時の工場を活かしたホテル「倉敷アイビースクエア」として生まれ変わり、敷地内にはホテル、レストラン、大型宴会場だけでなく、倉紡記念館などの文化施設、陶芸体験ができる工房やショップなど、多数の施設が併設され、宿泊や食事に限らず楽しめる場所として、多くの人が訪れています。
クラボウ創業の地は「憧れのアイビー」として、多くのお客様が訪れる観光スポットにもなっています。
(2022.11更新)