生活に欠かせないプラスチック製品を製造。
ポリ袋、吸着カーペットやニードルパンチカーペットなどのカーペット類、遮光のためのシェード、人工芝といった、生活に欠かせないプラスチック製品を製造するワタナベ工業。その創業は明治14年(1881年)、倉敷市連島町西之浦、現在の霞橋の周辺の高梁川流域に群生していた葦(ヨシ)を使って、すだれを製造する工場としての出発でした。この商品は昭和4年(1929年)から「岡山県連島葦すだれ」として全国販売し、優れた品質との評判を獲得していました。しかし昭和中期から葦の収穫量が減少したため、葦に代わる素材を模索。そして昭和29年(1954年)、当時の画期的素材であった塩化ビニールを使った「すだれ」の試作に成功し、生産販売を開始します。
プラスチックの発展とともに歩む国内有数のメーカー。
塩化ビニールによるすだれ製造に活路を見出し、プラスチック製品製造へと転換したことが、会社としての大きな変換点となりました。昭和39年(1964年)には清音工場が完成し、すだれ製造で培った塩化ビニールの「押出成形」の技術を生かして、ストローやPP織込花筵などの製造を始めました。「押出成形」とは加熱溶融させたプラスチックをトコロテンのように押し出して、連続的に成形する方法です。折しも日本国内は高度経済成長期を迎え、すだれは北米へ、PP織込花筵は中東へ、ニードルパンチカーペットは東南アジアへと、販路は世界に拡大しました。さらに独自のプラスチック加工技術を積み上げ、筒状のプラスチックを膨張させ、袋状にする「インフレーションフィルム」技術で、ゴミ袋やポリ袋といった製品も手掛けるようになりました。
「やってみよう」が合言葉。
「苦しい時こそ、新しいものが生まれる」。これは昭和の時代、ワタナベ工業を牽引した先代の代表取締役・渡辺博氏の言葉です。輸出が好調だった時代から、昭和46年(1971年)のニクソンショックにより円高の時代に突入。続く2度にわたるオイルショックにより、原料である樹脂の価格が高騰し、厳しい時期を迎えました。そこで輸出から内需への切り替えを図りました。昭和56年(1981年)には、エンジニアリングプラスチック分野へと進出。OEMで自動車のライトカバーやウインカー、携帯電話のアンテナなどを製造しました。現在はトウモロコシなどの植物や、カキ殻、真庭市のウッドチップなどを原料とする製品の研究も進めています。「やってみよう」という姿勢で時代の波を乗り越えてきたワタナベ工業は、環境問題を踏まえ、人々の暮らしに役立つアイデアを形にしています。
(2022年10月)
たたみでゴロン
畳の製造・販売、関連商品販売