工業の発展とともに
歴史を積み重ねた古い街並みが、今なお現役で機能している本町周辺の通りに吉井旅館は建っています。この建物もまた、江戸時代半ばに民家として建てられたもの。
旅館としての創業は明治22年、現在の美観地区周辺は当時、天領地から続く海運の要として商工の集積地でもありました。倉敷紡績株式会社が海外製の製造機器を導入し、その関係でエンジニアの宿泊場所がないということで請われて始めたのが吉井旅館の創業だそうです。
その後は関西からの商人に主に利用され、さらに昭和30年代から40年代にかけては水島コンビナート関係の出張ビジネスマンの寝食を支えてきました。
「観光地、倉敷」そして個人需要へ
転機が訪れたのは山陽新幹線の開通後。関東や関西からのアクセスが容易になり、美観地区の整備や大原美術館の知名度も加わって「観光地、倉敷」の名前が一気に広まりました。これにより宿泊客の割合も、これまでのビジネス需要から観光需要へと大きく変わることになります。
その後、観光ブームも一段落した頃から吉井旅館では料亭としての側面を強化し、料理人を増員するなど一時企業の接待需要に力を入れたことがありましたが、最近では企業や団体よりも個人向けへとシフトしているそうです。
時代に合わせて柔軟に変化
現在の女将は四代目の永井圭子さん。「顔の見えるおもてなし」をモットーに、お客さんとのコミュニケーションを重視し個々のニーズに合わせたきめ細かいサービスを心がけています。また、そのニーズに合わせて柔軟に変化することにも積極的で、会食用の畳の和室をテーブル席に改装したことも。「歴史ある建物はそのまま保存するだけではなく、時代に合わせて変化させながら使うことで歴史が積み重なる」とは女将さん談。
最近の客層はやはり個人が多くその年齢層も幅広いそうで、主にインターネットやリピーターからの口コミでの予約が増えているそうです。また欧米を主として海外からの宿泊客の姿も見られます。
部屋数は8部屋(うち宿泊は6部屋)で貸切風呂が2つ。お客さんからは、料理と居心地の良さが好評を得ています。また、うなぎ屋(時間帯によってはカフェ利用可能)も併設されています。