一子相伝の張子づくり
倉敷はりこが生まれたのは明治2年(1869年)。創業者の生水多十郎氏は農業を営んでいて、その農閑期に副業として、張子を作り始めたのが最初でした。元々手先が器用で雛人形などを作っていた多十郎氏が、端午の節句の折に自分の息子のために張子の虎を作ったところ、その出来の良さが評判になったと言います。以降、5代に渡ってこの道一筋、一子相伝で脈々とその製作を続け、岡山県の伝統的工芸品にも指定されています。
一品一品に魂を込めて
現在、その技術と伝統を受け継ぐのは5代目の生水洋次氏。27歳の時にそれまで勤めていた会社を辞めて家業を引き継ぎ、現在は夫婦二人で張子づくりに励みます。主に作っているものは、張子の虎を中心に各種の面、干支をモチーフにしたものなど。昔は祭りに合わせて面を作ることが多かったそうですが、山陽新幹線開通の頃ぐらいからは観光客向けの民芸品が増えています。
全ての工程を昔ながらの手作業で行っているため、年間の生産量はごくわずか。張子の虎は大小合わせて500以内しか作れないと言います。最近は張子も機械での大量生産が主流で、数は出来る反面、画一的で味のないものが多いとか。その点、倉敷はりこでは一品一品に手をかけて作り上げるので品質には自信を持っています。特に虎の顔の表情は作品全体の出来を左右する重要なポイントで、購入した人に「顔が良い」とほめられることが何よりの喜びだと語ります。
数多くの共感
そういった作品作りへの姿勢は多くの人に認められ、東京など遠方から問い合わせがあることもしばしばです。毎年、年末になると干支の張子を注文してくる決まったお客さんもいます。残念ながら生産数が少ないので基本的に常に品薄状態。欲しい人全てに作品が行き渡らないのが心苦しいと生水氏は語ります。今後についても、品質を落とすことなく伝統を引き継いで行くことが願いで、そのためにも自分自身の手で作品を作り続けていきたいそうです。