5つの永世称号とA級在籍45年
大山康晴氏は、大正12年(1923年)3月に現・倉敷市西阿知町に生まれました。幼少の頃より、その非凡なる才能を見い出されて将棋界に入門し、 平成4年(1992年)7月に逝去されるまでの主な記録としては、公式タイトル獲得80期(歴代2位)、一般棋戦優勝44回(歴代2位)、通算1433勝(歴代2位)等があります。また、十五世名人、永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将という、5つの永世称号を保持しました。
さらに、プロ棋士約130名をA級からC級2組までの5つのランクに分ける順位戦において、最上位のA級に44期も残るということからも、大山康晴十五世名人がどれだけ偉大だったかが充分に言い表せます。その偉業の中でも、63歳という歴代最年長で名人位に挑戦したことや、ガンによる手術と闘病を経験して1年の休場を余儀なくされてなお、69歳で没するまでA級に残り続けた氏の実力は、他の棋士の追随を許しません。
五冠王時代
昭和34年(1959年)に当時存在した3つのタイトル戦の三冠王となった大山氏は、昭和35年(1960年)創設の王位戦で王位を獲得して初の四冠独占をし、さらに昭和37年(1962年)創設の棋聖戦で棋聖位を獲得して初の五冠独占(名人・十段・王将・王位・棋聖)を果たします。
特に、昭和34年(1959年)から昭和45年(1970年)の頃はタイトル棋戦でほぼ無敵の存在であり、4度、五冠王になりました。特に、昭和38年(1963年)から昭和41年(1966年)にかけてはタイトル戦に19連続で登場し、その間、他の棋士達にタイトルを一つも渡しませんでした。
子供たちへの指導を優先
プロ棋士で居続けるためには、毎期行われる順位戦で常に良い結果を残さなければいけません。成績が悪く順位を落とすと、最終的にはプロ資格を失うという大変厳しい世界です。
このように、プロ活動を維持するだけでも難しい将棋の世界において、大山氏は多忙の中でも将棋の普及活動を第一と考え、教える時は分け隔てなく指導しました。特に、子供たちへの指導は「勝つ味を覚える」という面から、時には上手に負けてあげることもあったそうです。
(2022.11更新)