都羅の小径ウォ-キング
大平山の山裾には、薄田泣菫生家、宝島寺、厄神社、箆取神社など多くの史跡が点在する「都羅の小径」と呼ばれる江戸時代に築かれた古い小道があります。元海辺の道は複雑に入り組み、その中に古い民家が点在しているとても静かな町並みです。
史跡を観ながらの街歩きは、郷土の歴史に触れることができます。
多くの神社・仏閣・史跡
薄田泣菫生家(すすきだきゅうきんせいか)
明治詩壇で活躍した薄田泣菫の生まれ育った生家。泣菫と関わりのあった作家などの資料・作品が展示されています。
梅雲寺古墳(ばいうんじこふん)
市指定史跡 古墳時代後期の古墳。南向きに開口した横穴式石室。棺を納めている玄室の規模は長さ6.23m 幅1.35m 高さ1.7m(崩壊しないように、現在は石室内に山土が充填されています。)です。
力士の墓
江戸時代末期の郷土出身岩戸藤(いわとふじ)東七の墓。関脇まですすみ大関になる寸前に引退。当時は横綱はなく大関が最高位であったとされています。
宝島寺(ほうとうじ)
貞観元年(859年)に理源大師により開かれ、古くには広大な寺域を持っていたと言われています。
厄神社(やくじんじゃ)
境内に薄田泣菫の詩「ああ大和にしあらましかば」の六枚屏風詩碑が建てられています。また、水島の街を一望できる眺望も魅どころです。
箆取神社(へらとりじんじゃ)
大和時代に創建され、江戸時代には海難と火災除けの信仰が篤かった神社。289段ある石段の左右に桜並木がつづいた桜の名所として、また水島の景観も魅どころです。
(2022.11更新)
明治詩壇の巨匠「薄田泣菫」生誕の地
明治詩壇の巨匠薄田泣菫にまつわる数々の歴史的資料を展示した館内は、泣菫が少年時代を過ごした当...古墳時代後期の古墳
梅雲寺古墳は、倉敷市指定史跡に指定されている横穴式石室を持つ小古墳です。