千石船の歴史
「室は東に、赤間は西、玉島は真ん中に」と歌にもあるように、日本海から廻ってきた千石船(北前船)は山口県下関港を始め、玉島港、兵庫県室津港など瀬戸内海の多くの港に寄港し鰊(にしん)など諸国の物資を運び、各地に商業の発展をもたらしました。
江戸中期、瀬戸内屈指の商港として繁栄した玉島港は、松山藩主水谷勝隆・勝宗父子により築港され、西に白華山、東に玉島山、中央に羽黒山、三山に囲まれ、自然の恵みと人工の枠を合わせ持つ理想的な港として北国の物資を満載し日本海を廻って入港した千石船(北前船)で賑わい、港周辺には鰊粕の肥料問屋などが多く建ち並び、その肥料で綿花栽培など農業も発展し、またその綿花を使った繊維加工産業も発展して玉島の歴史に多大なる影響を与えました。
そんな産業の発展に伴い、玉島商人の間では商談や接待にお茶をたしなんだことからお茶の文化も栄え、現在でも玉島には約40もの茶室が残されています。
職人が真心を込めた手作りの銘菓
明治21年創業の老舗「松涛園」の玉島銘菓「千石船」は、大商業港として繁栄した郷土玉島港の昔を想い、再び玉島の発展を願いながら宝船のような「千石船」の帆にその想いを込めて作り出されています。終戦後より伝統の手作りの製法は代々受け継がれ、菓子職人が真心を込めたぬくもりの感じられるすべて手作りの銘菓です。
その特徴は、なんと言っても千石船の帆をかたどったその姿です。外の皮はさっくりとしていて、中には大手亡を使用したすっきりとした甘さの自家製白餡が入っています。ひとつひとつ丁寧に職人が焼印を押して作られる焼き菓子の姿は素朴ですが、上品な餡の甘さが口の中で溶けていきます。
お茶との相性も良くまたお土産としても喜ばれ、地元のみならず、県内外の多くの方々に支持されています。
(2023.2更新)