株式会社 田辺商店

福神足袋・大黒足袋製造販売

所在地
〒710-0251 倉敷市玉島長尾2375
電話番号
086-522-3556
代表者
田邉裕一郎(代表取締役)
創業
明治39年(1906年)
事業内容
福神足袋・大黒足袋の製造販売をおこなっています。
従業員数
25
リンク
玉島エリアの特産品「足袋」

足袋の産地 玉島長尾地区

 現在、足袋の産地は、埼玉県行田市、徳島県鳴門市、そして、岡山県倉敷市が有名です。足袋の語源は、平安時代に伊勢詣でをする人の旅装束からその名が「旅」から「足袋」へと呼ばれるようになったという説もありますが、確かな起源は不明です。
 元々綿花栽培が盛んであった倉敷市内各地では、江戸時代中期ごろから足袋の製造が盛んで、倉敷市玉島長尾地区でも古くから足袋の製造が盛んにおこなわれていました。最盛期には約20件近くの足袋業者があり、近年は人々の洋装化に伴い、年々製造業者も減少傾向にありますが、現在でも約8軒の足袋製造業者が伝統の技術を継承して守り続けています。

明治39年(1906年)初代田邉吾三郎氏が「福神足袋」創業

 その中の一軒である明治39年(1906年)年創業の「株式会社田辺商店」は、玉島長尾の高瀬舟が行き交った水路沿いにあります。創業者田邉吾三郎氏は、10代の頃から船穂町の足袋屋で修業を重ね、「福神足袋」製造販売業として事業を開始。この頃は、防寒用や儀礼用として足袋は、どこの家庭でも使用されていた為、玉島、船穂周辺でも多くの足袋業者があり、また、農家の副業としても足袋は多く製造されていました。大正8年(1919年)には、岡山県生産高2,025万足で最盛期となり足袋業界では作れば売れるといった現在では想像がつかないほどの好景気を迎えました。そのため、創業当時から吾三郎氏もその時代背景とともに、順調に生産数を伸ばし順調に商いを大きく広げて行きました。

「継続は力なり」をモットーに

 昭和の時代に入ると、昭和26年(1951年)、「株式会社田辺商店」として法人化。昭和40年代に入ると、2代目田邉寛(ひろし)氏が後を引き継ぎ、「継続は力なり」をモットーに、「儲からなくても、お得意さん、お客さん、そして社員に満足してもらえればそれが何よりである」という経営理念のもと事業を転換することなく、ただひたすらに足袋の製造に邁進して行きました。そんな同社の「福神足袋」は、寺社関係者、歌舞伎界などから細かい丁寧な仕事ぶりが評価され、今でも太宰天満宮、出雲大社、歌舞伎界、映画の撮影所などから注文があります。
 平成10年(1998年)より後を受け継いだ3代目田邉一正氏(前代表取締役)は、近年、外国産の登場によりさらに国内同業者が減少していく中、どんな難しい仕事依頼でも断らず、代々受け継いだ伝統の技術、経験を活かして、白足袋だけでなく、柄物、レース、刺しゅう足袋など様々なニーズに対応していく事で差別化をはかり顧客の信頼を得ています。
 同店の開発した地元倉敷にちなんだブランド「くらやしき」は、足首の部分に伸びる素材を使用しており、コハゼが掛かり易く実用的で、発売以来たいへん好評を得ています。これからも同社は古来より受け継がれた日本の和装文化を下支えする一役を担うためメイド・イン倉敷の足袋を作り続けます。