あんころ餅のはじまりは大名行列の「お接待」から生まれた
「あんころ餅専門店 元祖とら屋」の歴史は江戸時代からはじまりました。備前の藩主池田侯の永代参拝所として、由加山の地を訪れた池田綱政公(寛永15年~正徳4年・1638~1714年)の大名行列のため、由加地区の住民が「お接待」として、あんこをまぶしたお餅を竹の皮に包んで振る舞いました。
当時のこの地域は、四国の「金毘羅宮」と合わせて「由加山蓮台寺」に、両参りをしに来ていた参拝客や、地元の人たちの遊楽の場所として賑わっており、数軒のあんころ餅屋も軒を連ね、その中の1軒がここ「元祖とら屋」だったのです。明治時代に入ると、あんころ餅屋も少なくなりましたが、その現状を危惧した藤原綱太郎氏(現亭主・藤原宏道の曽祖父)は、その後も店を続けていくことにしました。
元祖とら屋のあんころ餅の驚くべき点は、今のあんこと餅が味も大きさも、江戸時代から作られていたものとほとんど変わらないということ。一口で口に入るくらいの大きさのお餅の上に、すっきりとした甘さのこしあんがたっぷりと塗られ、何個でも食べれられる美味しさです。
「元祖とら屋」を受け継いでいく家族
現店主・宏道氏によると藤原綱太郎氏から、息子の清氏、そしてその娘・茂子さんへと元祖とら屋は受け継がれていきました。その頃までは店舗内に茶屋を設けて、お餅とお茶を一緒に店内で楽しむこともできました。昭和63年(1988年)に本州と四国と結ぶ瀬戸大橋が開通し、児島地区も多くの観光客で盛り上がりました。由加山も由加神社に参拝する人で賑わい、ここ「元祖とら屋」も連日行列ができることもありました。その後、夫であった良夫氏が市役所勤めの定年を迎えたころ、茂子さんが他界。婿養子であった良夫は茂子さんが切り盛りしてきたお店を絶やさぬよう、後を継ぐことにしました。そして、時は経ち、茂子さんと良夫の息子・宏道氏が今もその伝統の味を絶やさぬよう、あんころ餅をつくっています。
「これからも地元に愛されるお餅屋さんでありたい」
「この看板はうちのファンの人が作ってくれたんだよ。」、と宏道氏が指を指したのは、木の看板。しっかりとした木に「名物 あんころもち由加山 とら屋」と彫ってあり、プロが仕上げたも同然の立派な看板。この看板が物語るように、元祖とら屋はその変わらない味を求めて足しげく通っているお客さんが多くいます。遠方からも足を運んで来られる客もいますが、やはり多いのはここ地元のお客さんです。
「これからも地元に愛されるお餅屋さんでありたい」と語る宏道氏も、食べてくれる人がいるからこそ、ずっとこの味を好きでいてくれている人がいるからこそ、お互いの存在があって、元祖とら屋は今日も美味しいあんころ餅を作り続けています。
(2013.08-10)