醤油醸造業からの変遷
明治16年(1883年)、若林平三郎氏が阿知3丁目の場所で醤油の醸造及び販売を始め、以来、醤油醸造業から酒類食品卸売業、運輸業、外食産業へと、時代の流れと共に業種業態を変えながら、地域の人々と共に歩み続けています。
昭和初期に入り、キッコーマン社が関西工場を建設するにあたり、県下特約店として自家醸造との併売という異例の決断をしましたが、今日の経営から見れば「先見の明」であったと考えられます。その後、昭和25年に3代目頼男氏が家業を継いだ年に会社も法人化され、さらに昭和54年には取扱商品も調味食品から酒類も加えました。
順調な業績によって阿知3丁目の店舗では手狭となり、倉庫を現住所へ建設し、その後、駐車場敷地、事務所増設と、業務を拡大しました。
親和・誠実・努力
経営理念は、「親和・誠実・努力」。人の和=取引先との和、従業員との和を大切にし、誠実な商売を心がける。これが信用ということになり、それには毎日の努力を積み重ねる以外にありません。
常に新風を起こし続ける源は、社是から来るおごりのない会社経営が実を結んでおり、社内のスタッフも希望があれば他部署への社内移動も可能で、働きやすい職場としても社員一人一人に支持されています。
アート事業
4代目の若林毅氏は、社長業の傍ら画家としての一面もあり、「地元倉敷の街に何らかの形で貢献できれば」との思いから、現在の主力事業ともなっている外食産業と、文化的事業への重要性も考え、アート事業部を立ち上げました。
アート事業部は本来、作風や経歴に関係なく、優れた作品を紹介し、また販売する事業を指しますが、そうすることによってアーティストの生計を陰ながら支援する一面もあります。社是から来る姿勢はこうしたところでも見られ、企業が芸術活動を支えるメセナ的役割を果たしながら、「喜び」が分かち合える事業に成長する事を目指しています。
(2019.11更新)
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岡山表・肥後表・中国表・上敷・花莚(かえん、はなむしろ)等販売明治42年(1909年)創業・水島を代表する酒
清酒・奈良漬製造販売業