水島の街とともに発展
新旧が渾然と調和する文化の街くらしきは、県西部の中心として発展してきました。
戦前から工業の街として発展してきた水島では、戦後本格的な工業化が進められ、大型船舶の入港を可能にするための航路泊地の浚渫に着手しました。浚渫土は海面の埋め立てに利用され、工業用地を造成し、コンビナートの礎を築きました。昭和39年(1964年)に水島地区を中心とする岡山県南地区が新産業都市に指定されて、更に多くの企業が進出し、水島コンビナートとして日本有数の臨海工業地帯となりました。またそれに伴い、多くの雇用が生まれ、労働人口の増加とともに近隣地域の人口も増加しました。水島コンビナートの歩みは、今日の倉敷市の発展の歴史でもあります。
様々な産業の集積地
瀬戸内海に臨む総面積約2,500haの敷地に約220の事業所が立地する水島コンビナートは、石油精製・石油化学・鉄鋼・自動車・食品などが集積する日本を代表するコンビナートとして発展を続けています。
美しく光り輝く夜景スポット
鷲羽山スカイラインから見渡せる美しく光るコンビナートの夜景は、「夜景100選」にも選ばれており、視界を覆うほどの工場夜景を味わうことができます。
(2022.11更新)
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